3・11の思い出

当時私はお客さんの事務所で仕事をしていました。

最初は「あっ大き目の地震だな」位の感覚だったのですが、小康状態になった
と思った途端に更に大きな第二波が来ました。慌ててデスクの下に入りつつ
「今日は人生最後になるかも知れないな」としみじみ思ったものです。(実際
に同じ市内で亡くなった人がいました)

幸いそれで済みましたが帰宅することが出来ず、お客さんの事務所に泊めて貰
うことにしました。更に幸いなことにお客さんは治療院だったので、ベッドは
ふんだんにあります。と思ったら、治療用ベッド゙は硬くてほとんど眠れません
でした。

しかし以下の人達に比べたら恵まれていたと思います。

○Aさん
現在の仕事仲間の彼は、信州に出張中で震災時は帰路の高速バスの中だった
そうです。
自分自身は感じなかったもののニュースで地震があったことは知っていたそう
ですが帰って来た新宿の街は騒然としつつ鉄道も止まっていて、「一体何が起
こったのか?」としばらく理解できなかったそうです。
そして新宿から都区内を徒歩で横断して家に帰ります。言わば「予期せぬ帰宅
難民」になった訳です。

○Bさん
仕事で知り合った同年代の起業家の方がいましたが、彼は当時浜松町で仕事を
していたそうです。
そして帰宅を諦め、人生で始めてダンボール箱の中で寝たそうです。その彼の
一言ですが「ダンボールって意外に暖かいんですよ」ということでした。

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その他50階建てのビルの展望台にいて「このままビルが折れて死ぬかと思っ
た」人や、高層ホテルの最上階のレストランで食事中で、とても食べれる状態
ではなかったが「根性で平らげた」という人もいます。


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by cocosable | 2016-03-11 06:00
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